危機を節目に 3

40代半ばと50代半ばに「能が舞えなくなるかも」と思うような出来事があり、それを乗り越え良い節目になったことをブログの中で前に述べました。今回のお正月転倒事故は私にとってその2回に次ぐ危機でした。


まだ腰に違和感が残るとはいえどうにか前向きに対処できたのは、「新しい目標」のおかげだったと思います。
12月に「山姥」の舞囃子を舞ったことをきっかけに、10年ぶりに自分主催の会を催すことを決心しました。年末に翌秋を予定して会場を押さえ、すぐにいらしていただく囃子の先生方に出演の依頼を始めました。


アイスバーンに滑って転んだのはご出演をお願いした先生方からご快諾をいただいた翌日のことでした。その瞬間の腰の衝撃は「能が舞えなくなるかも」と思わされるほどで、最初に考えたのは「10月の会どうしよう…」でした。
秋の催しの企画では、自分で三番の舞囃子を舞うことにしていました。体調が良くても相当大変な会になる、と覚悟をして決めたもので秋までに治ったらできるというものではないのです。早く稽古ができる状態になって、稽古を重ねないとお客様に観ていただけるような舞台にはなりません。私の体の状態によっては会を中止しなくてはいけないと思いました。


幸い骨に異常がなかったので、私の二十年来信頼して診ていただいている接骨院と鍼治療院のお二人の先生にお願いして、治療に努めています。転んでから1ヶ月が経つと、徐々にストレッチも普段どおりにできるようになってきました。暖かくなるにつれて、筋トレもだいぶできるようになってきています。
まだ無理はできないので、今できるイメージトレーニングで謡や舞をしっかり覚え、目一杯稽古をしたい気持ちを抑えつつ(これが難しい…)、思い切り動けるようになるのを楽しみに、もう一度体を作り直し、徐々に舞台感覚を取り戻していきたいと思っています。

今でも舞台に立つことを考えなければ、痛みは少し残っているものの、日常生活にはなんの支障もありません。もしかして会を企画して「新しい目標」を目指していなかったら、簡単に舞うことを諦めていたかもしれません。
「もう少し能楽師として頑張りなさいということなのかな」
とも思いました。

今がまた新たな節目となるよう、日々を前向きに過ごしていきたいと思っているこの頃です。

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