「こころみの会」を休んでから今年で10年になります。前向きの一時的休止でしたが、「声の道場」や「能エクサイズ」で能が健康に繋がるということを伝えたいということに気持ちが向いていて、会の企画が前のように溢れてこなくなっていました。
コロナ禍の中でできないことが増え、いろいろ模索するうちにホームページができ、ブログを綴るようになりました。これまでを振り返り自分を見つめ直す機会を得たことで、導いてくださった先生方や、両親への感謝を改めて思い起こしました。また、玄人の能楽師になろうと思ったときの自分の目標がなんであったかも、もう一度見つめ直すことになりました。
「女で能楽師になってもなかなか能は舞わせてもらえないよ」と多くの人に言われる中、そんなに何回も能を舞えなくても舞台の内側で能に触れ、馴染むことで「能を感じてもらえる仕舞や舞囃子を舞えるようになりたい!」というのが、最後に気持ちを決めた原点でした。ブログ前述の「能のデッサン」にも述べていますが、仕舞だけを稽古して舞う仕舞と、能を舞う感覚で舞う仕舞の違いに気づいて、その為に能を舞う機会が少しでも多い玄人になりたいと思ったのでした。思いもかけず梅若会や自分の会で多くの能を舞わせていただけたことで、ついついそのことを忘れがちになっていました。
昨年5月、何かをしようとしてもできない自分の基礎の力がはっきり出てしまう「東北」の能を区切りとして舞わせていただき、また長年課題としていた「山姥」の舞囃子を年末に舞わせていただいたことで、気づいたことがあります。
それはこの10年「声の道場」「能エクサイズ」で皆さんにお教えしながら知らないうちに自分の体も培われ、稽古をしている中で、体が少し能楽師らしくなってきたように思えたことです。
膝を痛めた50歳半ばまでは稽古はしても自分の体と対話するということはありませんでした。自分の体に目を向けたその時から今まで、体の軸を作るための筋力アップとストレッチを続けながら、日々を過ごしたことの成果が少し現れたのかもしれません。体との対話ができるような気がしてきたのです。
「こころみの会」をお休みにしてから10年の時を経て、また「こころみの会を催したい」という気持ちが起こり頭の中に企画が湧き上がってきました。
昨年末の舞囃子「山姥」を申し合わせで見てくださった師匠が
「この舞囃子はあなたが変わるきっかけになるかもしれないよ」
と仰ってくださったのも引き金になったかもしれません。
「こころみの会」は「自分が観たくなる会」をモットーに会を企画し、ゲストを多数お呼びして、自分は会を創ることに徹してきました。今度は周りの方にお手伝いいただき「自分で表現できる会」を目指そうと思います。
「山姥」の舞囃子を見てくださったお客様から「山姥の能を観てみたい」という感想をたくさんいただきました。それがとても嬉しく、能ではまだまだ自分の表現は難しいけれど、舞囃子で能を感じていただくことはできるかもしれない。
「舞囃子から能へ興味を持っていただく」
それを自分の位置にしたいと強く思いました。
能楽師になろうと思った原点「能を感じる仕舞、舞囃子」を一番でも多く舞いたいと思います。それが私の能楽師としての幸せだと思うのです。
お正月の転倒事故でどうなることかと思いましたが、どうやら体を作り直せそうになってきました。改めて秋に「こころみの会」を催すという目標へ向かいたいと思います。
「声の道場」「能エクササイズ」から始めた健康を導く稽古を続けながら、自分の表現を模索したいと思うようになったこの頃です。