三十周年記念大会

私が玄人として梅若会に所属させていただき、能楽師として歩き始めたのは昭和63年、師匠の梅若桜雪先生が56世梅若六郎を襲名なさった年でした。玄人としての初舞台が、その襲名披露の公演での連吟でした。
何年かしてお弟子さんが 数人できたとき、師匠から会名を頂きました。
梅若会に所属している能楽師が主宰する会名の1文字目には 必ず「緑」という字が付くのですが、2文字目は名字や名前、または何か思いのある字を希望したりして付けていただいきます。私は名字の「山」も名前の「庸」もなんとなく馴染まず、私が生まれた時期に満開になる「桜」の字を希望してお許しをいただきました。「緑桜会」…とても気に入りました。
とはいえその頃はまだ子どもたちも小学生。主婦として母親としての時間が中心で、お弟子さんのお稽古にあまり時間を使うことはできませんでした。それでも少しずつ稽古に来てくださる方が増え10人くらいになった頃、お稽古場で初めての会をしました。緑桜会の誕生です。その後どうにかして皆さんに本舞台で舞ったり謡ったりさせてあげたい、発表会を催したい、と思うようになりました。でも少ない人数では費用がかかり過ぎて、舞台を借りることも先生方をお願いするにも無理があります。
師匠にその思いをご相談したところ、
「あなたの能の会と二部制にしたら?」
とご提案くださいました。
午後からの能の会に来ていただいている先生方を何人かお願いし、午前中に第一部として舞台も一緒に使うことで、経費が抑えられ、第一回目の本舞台での緑桜会大会が実現したのです。
それからは毎年というのは無理があるので、五年に一度を目標に大会を開催し、その間は稽古会で研鑽をする、という形にしました。
お稽古させていただく方も徐々に増え、その後はお弟子さんだけで緑桜会大会を催せるようになりました。その後も舞囃子や習い物を発表してくださる方も増えて、だんだん賑やかな会になりながら今年、六回目の大会を迎えます。
前回からの5年の間にはコロナの蔓延により稽古会も謡初もゆかた会もできない2年間がありました。
けれどもどんなときも熱心にお稽古に来てくださるお弟子さんたちに支えられ、来る4月29日㈯に三十周年の記念の緑桜会大会を催すことができるようになりました。
師匠の梅若桜雪先生はじめ、諸先生方、そして私を支えてくださった緑桜会や周りの皆様に、感謝の気持でいっぱいです。

舞囃子が12番、素謡も「隅田川」「鉢木」「弱法師」など7番、その他仕舞や独吟と賑やかな会になっております。
是非お気軽にお立ち寄りください。

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