謡と仕舞による源平の盛衰

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、これまでの源平の戦いを描いたたくさんのドラマとは変わった捉え方がされていて注目を集めています。
考えてみたら私達が持っている源平の合戦のイメージも平家物語や源平盛衰記などの物語によるものが多く、もともと史実はどうなのかわからないことが多いので、間違いなく起こった歴史上の出来事を踏まえた上でどんなドラマができてもいいわけです。

能における源平の物語はその合戦の時代に近い室町時代にほぼ作られていて、その時代の人たちに一番受け入れられてできたドラマだったのではないかと思います。
世阿弥は平家物語や源平盛衰記などを元に能の脚本を書いたのですが、ストーリーよりも歴史に翻弄されるひとりの登場人物の心の動きに重きを置いて描いたのではないでしょうか。勝者よりも滅びゆく敗者にスポットライトが当てられ、勝者もまた後に滅びゆくところに焦点が合わせられドラマは作られました。世阿弥はそこに「人間の哀れ」を見て、それを「美しさ」へ浄化することで魂を救おうとしたのではないかと思います。すべての滅びゆく魂の救済、とでも言うのでしょうか。能を見た人にそう思わせるような、そんなドラマになっていると思います。

5月15日㈰に、梅若会企画公演「謡と仕舞による源平の盛衰」が催されます。仕舞(舞囃子も二番)と謡とはいえ、これだけの平家と源氏の主だった登場人物の名が揃うことも珍しく、お客様にはいろいろ想像していただけるのではないかと思っております。

今回の巻頭写真は壇ノ浦にある像です。左側は「源義経の八艘飛び」の場面、右側は碇を担いで海に飛び込む「平知盛の碇潜」の場面です。

壇ノ浦は源平の最後の戦い。勝者は義経、敗者は知盛です。今回の公演最後の方に船弁慶の仕舞があります。壇ノ浦で勝者だった義経も頼朝に追われ敗者となっています。前のシテは静御前で、義経との別れを惜しむ場面。後のシテは壇ノ浦で滅ぼされた知盛の亡霊で、落ちて行く義経たちに恨みをなさんと襲いかかる場面。その後の独吟「勧進帳」舞囃子「安宅」も義経一行の逃避行の一場面です。

第一部は平家の繁栄の頃から始まり、若い公達の哀れ、そして最後の戦い壇ノ浦……後の世の建礼門院の追想(大原御幸独吟)……第二部は義経の子供の頃から始まり、成長しての戦での華やかな活躍、その後頼朝から疎まれ追われる身になるまでを軸に、源氏の武者たちのそれぞれの物語。駆け足ではありますが大きなドラマとして想像を膨らませてご覧いただければ、またそこに能の面白さを見出していただけるのではないかと思っています。

私は「経政クセ」の替之型を舞わせていただきます。その後には「経政キリ」の仕舞もあります。

平家全盛の世に生まれ、戦いも知らずに育った経政も源氏に追われ都を落ち、西国で討たれてしまいます。琵琶の師匠だった仁和寺の行慶は経政が愛用していた琵琶をを供えて弔います。在りし日の姿を現した経政の亡霊は昔を偲び舞います。(クセ)

ひとときを懐かしんだ経政も修羅道に落ち瞋恚の炎に苦しむ姿を恥じらい、灯火と共に消えていくのです。(キリ)

詳しくは「公演・イベント情報」をご覧ください。気候も一番いい時季、ご来会をお待ちしております。

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