楽の代償

このごろ「世の中の便利になる速度について行けないな」と思うことがよくあります。その恩恵に助けられているところも勿論ありますが、なんだか「楽」をすることで人間の感覚の緻密さを取られていく気がしてしまうのは私だけでしょうか……。

仕舞をお教えしているときに扇扱いでお稽古がストップしてしまうことがよくあります。「普段扇子を使うときと同じですよ」と何も気にせずに仰いでもらうと、扇を自然に持つことができます。そこから「閉じたり広げたり、手を緩めて要をつまむ形にしたり、考えずに普段から少し扇と遊んでみてください」というようなことをお願いするのですが、簡単にはいかないようです。それでも長い間お稽古しているうちに手に扇が馴染んではくるのですが…。
考えてみると冷房や扇風機(この頃は小型のものまであります)などがあるので、日常で扇子を扱うことが少なくなりました。子供は扇子そのものを珍しがります。いよいよ扇扱いを頭で考えなければできない人は増えるかもしれません。
扇は握りしめるものではありません。もともと風を送るための道具です。自然にそのための使い方をすれば持ち方はおのずと決まっているはずです。仕舞に使うときもその持ち方が基準なのです。その持ち方をして要の上の一点を中心に「取り落とすくらい軽く持つ」それが「指を自由にして体の一部のように自在に扇を扱う」コツなのですが、ほとんどの人が握りしめてしまうようです。結局は慣れ親しみ手に覚えてもらうしかありません。

着物を着たり袴を着けるときは何度も紐を結びます。着付けをお教えしていて、いくら締めても最後に緩んでしまうような結び方をする人がとても多いのですが、それでは着る順番を習っても着崩れてしまい、美しくきちんとは着れません。なかなか袴の帯がうまく結べないという方が何人もありましたが、紐がきちんと結べないのが原因ということもありました。着付けをお教えする前に紐の結び方のレクチャーが必要なのかもしれません。
どうして自然な紐の結び方ができない人が増えているのか……着物を日常で着なくなったこともあると思いますが、普通に紐を結ぶ機会が減っているのも感じます。荷造りに紐を使って結ぶことも殆どなくなりました。子供の靴も面ファスナーやファスナーがほとんどです。扇扱いと同じく、日常で慣れていない動作をするのは難しいものです。指先が動きを覚えていて自然な動きで紐を結べば、そんなにギュウギュウ締めなくても緩まずにできるのですが、私が結んでみせると「マジックを見てるみたい」と言う人もいました。5本の指が必要なときにそれぞれの役割で自然に動いているだけなのです。誰に教えられたわけでなく、子供の頃から紐を結ぶことが当たり前な時代に育ち自然に身に付いたのです。日常であまり結ぶという動作の必要がなくなった今の時代も、能楽師という職業にとっては紐を結ぶことは日常的なことです。着物を着たり着せたり、特に能の装束付の時にはちょうどよい固さに結ぶということはとても大事で、指の感覚はそこで培われてきたのだと思います。

他にも日常で、物を包むことは袋に入れるに、包丁を使って皮をむくことはピーラーを使うに、字を書くことはパソコンやスマホで文字を打つにとって変わる、などなど「便利」によって指先を使うことは年々少なくなってきています。
先日テレビを見ていたら、便利グッズを紹介している番組があり、その中で今はまだないけれど「洗濯物をたたむ器具が欲しい」という声があり、それを開発しようとしているということでした。事業として大量の物をたたむのは別として、日常生活の中でそこまで自分の手を使わない便利を求めるのはどうなのでしょうか。「人間はどうなるのだろう」と恐ろしくなりました。

「便利」に甘えず負けず、自分からもっと指先を使う訓練をして、そして自分の感覚を磨き、それを信じることは人間にとって大事なことなのではないかと強く思います。

目で見て頭で考えて動くので終わりではなく、考えなくても動けるようになるまで繰り返す。それが稽古です。便利な時代に少し逆らい、薄れてきているいろんな感覚を取り戻して「人間力」を育てる稽古をしていきたい、そう願っています。

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