間狂言

私が能を観始めたのは大学を卒業して福岡の実家に帰ってからでした。
最初の頃、何もわからないながら能を観て不思議に感じたのは前場と後場の間の狂言の語りでした。前場でのシテとワキの話で、だいたいわかったている内容を、繰り返し語っているような気がして集中が途切れ、なんだか見所の雰囲気も中休みのように感じたのです。
その頃私が能を観ていた能楽堂は福岡の住吉神社の能楽殿で、見所は桟敷席でした。神社で結婚式があると太鼓の音がしたり、途中で人の出入りもあったりとのんびりしたものでした。現在では考えられませんが、間狂言のときにお弁当を開いている人もいました。そうでない人も「シテが装束を付け替える間の時間を待っている」という感じで、舞台の間狂言の方がお気の毒のような気がしていました。そういう私も間狂言は後シテの準備の時間を作るためのものなのかと思っていました。
「そうではない!」とわかったのは、上京して東京で山本東次郎先生の間狂言を拝聴したときでした。アイの語りは、ただこれまでのお話の繰り返しではない、ということに気付いたのです。
ストーリーが解っていて、内容が同じでも東次郎先生の語りはまるで違うものでした。というのは、シテが語る昔の経緯は、化身とはいえ自分のことですから本人の懐かしい思い、苦しい悲しい思いが直接に伝わって来る。それに対しアイは所の者など、伝え聞いた話を第三者として語るので、語り手の温情が加味され、ワキに弔いを勧める。それが弔い以上にシテに対する救いになっている気がしたのです。その部分がないと能が成り立たないとも思いました。
特に、師匠がシテをなさった復曲能「重衡」を拝見したとき、アイ東次郎先生の語りとシテの語りが、文言はほとんど変わらなかったのに、それぞれの違う思いが私の胸に届いたときの感動は今も忘れられません。

以前「こころみの会」で、鵜澤久さんに地頭をお願いし、女性の地謡で、梅若紀彰先生に「井筒」の袴能を舞って頂いたことがあります。そのときに、間狂言を東次郎先生にお願いしました。いつもは楽屋か見所でしか聴かせていただけない東次郎先生の語りを地謡座にいて聴かせていただいたときは鳥肌が立つような初めての感覚でした。相当足が痛かったはずですがそれも忘れ、温かい気持ちのこもった語りに聴き入りました。初めて井筒の女のことを聞いたかのように…。

この秋の「こころみの会〜能を想像しよう〜」で私は無謀にも舞囃子を三番舞わせていただくことにしています。真ん中で舞う「井筒」は能の後の部分、紀有常の娘(井筒の女)が業平の形見の衣装を身に着け、恋人を偲ぶ場面になります。その前にあの時の「井筒の女」の語りを語っていただけたら…と考えつきました。お客様に「井筒」の能を想像していただくのに最高のシチュエーションになるのではないか…。
そう思いついたら矢も盾もたまらず、東次郎先生にお電話してしまいました。ドキドキしながらお願いしたところ、先生は快くお引受けくださいました。本当にありがたく嬉しく、涙が出そうになりました。

この秋の「こころみの会」は間狂言の素晴らしさも存分に味わっていただける会になると思います。もちろん私がしっかり舞囃子を舞うことが大前提ですが…。
お客様に楽しんで観ていただける、そしてそれが能へ繋がる会になれば、と強く思っています。

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