高砂 八段之舞

こころみの会」で最初に舞う舞囃子は「高砂」です。「八段之舞」という小書きが付いています。
能で舞ったことはありませんが、舞囃子では普通の「高砂」は囃子会で何度か舞わせていただきました。「八段之舞」という小書きは、太鼓や笛のお稽古では経験したことがあり、緩急の激しい、とても面白い舞で大好きでした。
結婚して上京し、今の師匠に教えていただくようになって三年ほど経った頃、その「八段之舞」を舞わせていただけることになりました。ワクワクしながら稽古のために型付(謡に型を書き込んだ物)を書き写しましたが、二人目の子どもを宿したことがわかり、激しい舞は難しいと断念しました。
そのままお稽古をお休みすることになり、型付けは仕舞ったまま……。

その後40歳のときに玄人として再スタートさせていただくことになりますが、小書き付きの舞囃子を舞台で勤めさせていただく機会はなかなかありませんでした。ただ師匠のお弟子様のお稽古で笛を吹かせていただけるようになって、「八段之舞」も師匠のアシライで何度も吹かせていただきました。本当に師匠から生み出される緩急は面白く、必死で外さないように付いていきました。
ある日、舞台で「八段之舞」のお稽古があったとき、たまたま楽屋にいらしていた有名な大鼓の先生がそれを聞いていらしたようで、
「今吹いていたのはあなただってね。上手いね」
と褒めてくださいました。そして
「あのアシライで稽古してたら、上手くなるわけだ」
とも。
囃子方の先生も一目置かれる、師匠のアシライで何年も笛を吹かせていただいた……なんという贅沢な稽古をさせていただいたのでしょう。シテ方として能を教えていただいたこととともに、とても大きな私の財産になりました。

今回「こころみの会」で舞囃子で五番立ての番組を考えたとき、自分で初番目、三番目、五番目を舞うことを決めました。五番目は昔からの課題としていた「山姥」、三番目は頭の手術する前の窮地で舞った「井筒」を決め、初番を考えたとき、思いつきました。
「八段之舞!」40年前に書いた型付けを引っ張り出しました。
「やり残した宿題だった」
と思ったのです。舞の稽古はしていなかったけれど、何度も師匠に鍛えていただいた笛のイメージは残っています。ただ若いときのように動けないかもしれない。それでも「舞ってみたい!」という気持ちが先に立ち、決断しました。

https://hina.sakura.ne.jp/noh/?p=1680企画を決めて動き出してすぐ、お正月にアイスバーンで転倒し腰を痛めるという事故も挟み、どうなることかと思いましたが、少し前に申し合わせまで辿り着きました。まだまだ課題は山ほどありますが、師匠のお直しをひとつひとつ噛み締めて本番を勤めたいと思います。

多分最後になるかもしれない「こころみの会」開催を前に、以前のブログ「井筒をもう一度」「舞囃子を楽しむ」「山姥を舞う」「こころみの会をもう一度」も合わせて読んでいただけると嬉しいです。

自分のやりたい放題のわがままな会を許してくださった師匠、周りを固めてくださる先生方、そして観に来てくださるお客様に心から感謝して残りの日々に取り組みます。

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