読み聞かせ

絵本の読み聞かせ

お嬢さんに二人目のお子さんがお生まれになり、上のお子さんを預かって、なかなか稽古ができないというお弟子さんがいらっしゃいました。
謡を謡えなくても良い稽古方法がありますよ
とアドバイスしました。

それは絵本の読み聞かせです。絵本に出てくる登場人物になるだけ成り切って、場面を想像して読んであげるのです。いろんな声を出すには結構息を遣うし、口先の声にならず、体に向けて発音をするのにいい鍛錬になります。お子さんはいろいろ想像ができて楽しいし、読む方もただ文章を読むだけより想像力が養われると思います。

能は演じる方も観る方も想像力が無いと成り立ちません。三間四方の何も無いところに、謡の言葉だけで季節や場所を感じなければいけないのですから。

私は能のワークショップをするとき、
能はおとなのごっこ遊びです
とよく言います。小さい頃おままごとやお店屋さんごっこ、学校ごっこなどを同じ場所でよくやったものです。設定を決めたらあとは想像力で役に成り切って遊ぶわけですから、場所は同じでも何ごっこでもできます。

ごっこ遊び

能も舞台上には何も無いわけですから、登場人物がここは都だといえば賑やかな都であり、山や海だといえばその場所をイメージして物語に入っていきます。そのあとの展開も、演者の台詞や地謡の言葉での感情描写や情景描写、型として凝縮された少ない動き、それを彩り膨らませる囃子を観たり聴いたりしながら、観る人はそれぞれ想像の世界に遊べばいいのです。演者の表現をどう理解しようと観る人の自由なわけです。

絵本の読み聞かせは、動く場所も無いわけですから、子供が見る絵本の絵とおとなが物語の世界をイメージし入り込んで読む声によって子供の頭の中でどんどん想像が膨らみます。絵を観ないでお話を聞くだけの時は、絵で想像することができないので、読む人の声だけでその子のオンリーワンの想像が膨らむわけです。もちろんそうなるためには、読む人の思いに加え息を遣った声がより重要になるのですが。

これは能の演者と観客、素謡とその聞き手の関係にそのままに当てはまると思います。能では面や装束、囃子の魅力もあり、演者の謡や動きに思いを感じ、舞台を観ながら自分一人の思いを楽しめます。
これに比べ、素謡は能の脚本の朗読とも言えると思うのですが、他に助けは無いので、ただ字を読み声を出して節を上手に謡うだけでは聴いている人になかなか言葉は伝わりにくいでしょう。声がいいと思ってもらえても、それだけで曲として面白いとは思ってはもらえないのではないでしょうか。
謡は言葉が難しいだけによく読み込まなければならないということはありますが、美しい日本語です。謡う人が想像力を働かせるのは絵本を読むのと同じ。謡い手がその世界に入りイメージを持ち、役に成り切って謡うのが大事だと思います。

「読み聞かせ」とはいいますが、子どもに聞かせると言うより自分が楽しんで読むことが大事で、それが相手を楽しませることにも繋がります。謡や朗読も文章が長く難しいとはいえ、よく読み込んで稽古を重ねた後には、イメージを持って自分で楽しむことが聞き手と同じ世界を共有できることに繋がる。絵本の読み聞かせに通じるとは思いませんか?。

イメージを膨らませるということの原点は、絵本の読み聞かせや物語を語ることの感覚にあるように思います。読み聞かせたり語る相手がいないときは、自分に向かって話しかけるように、イメージを持って詩や物語を朗読する。大きな声でなくていいのです。それはきっと「息の中にて文字を言い放つ」稽古にもなると思います。

謡だけに限らず、声を出して表現することを稽古している方々に、
「謡を謡う稽古ができないとき(大きな声を出して稽古ができないとき)はイメージを膨らませる稽古ができますよ」
ということをお伝えしたいと思います。

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