「融」を舞う

10月の梅若会定式能で、「融」の舞囃子を舞わせていただきます。
一昨年の「東北」で能は舞納めのつもりでしたが、思いもよらず今年の2月に代役で「巻絹」を舞わせていただきました。
今年度からは改めて舞囃子を舞うことを突き詰めたいと思います。
能で舞うことが叶わなかった曲を、能を演じるつもりで稽古をして舞台に掛けられたらいいなと思っているのですが、その他に能では女性が演じにくいと思われる曲に舞囃子で挑戦していけたら、という楽しみもあります。

「融」は能では前シテは融の大臣の化身で汐汲みの老人(尉)です。昔を懐かしみ旅の僧と語らいます。女性の能楽師でも演じることはありますが、たまたまその機会にめぐり逢いませんでした。
前シテが尉の曲では、「善知鳥」「天鼓」などをさせていただきましたが、その折には女性が尉を演じる難しさを思い知らされました。

能の最高峰は「三老女」とされています。男性のものであった能で老女を演じるのが至難の業、ということもあったと思います。もちろん女性が老女を演じるにも生にならないように、という別の難しさがあると思いますが、女性にとっての尉を演じる難しさは、それ以上のような気がします。
また、安宅や小督などの直面物(面をつけず、自分の顔を役の面として演じる)も能として女性が演じるには難しい曲です。
もちろん「女性には難しい無理」と言われてきたものに挑戦して稽古することが本当の修業だとは思いますが、如何せん40歳で能楽師としてスタートした私には辿り着き難い境地でした。

舞囃子は能の一部の舞いどころを舞うもので、ワキとのやり取りもあまりありません。面装束をつけませんから、見た目が女性のまま男性や尉を演じます。全部をお客様の想像で観ていただけるので、かえって舞う方もなりきることができるのではないかとも思い、そういう挑戦の仕方をしていこうと思います。

今回舞わせていただく舞囃子は「融」の後になります。尉の部分はありませんが、光源氏のモデルとも云われる融の大臣の世界が広がるよう稽古に励みたいと思います。

〈融のあらすじ〉
東国方の僧が都へ上り、六条河原院に立ち寄ると、汐汲みの老人が現れます。海辺でもないのに不審に思い尋ねると、「昔融の大臣が、ここに陸奥の千賀の塩釜の景色を移し作って、難波の浦から汐を組ませ塩を焼いた。だから汐汲がいてもいい」
と当時の融の大臣の風流な有様を物語り、昔を懐かしみ、汐を組みに海辺に出るように見えて姿を消します。(中入)

(ここから舞囃子の部分)
旅寝する脇僧の前に、融の大臣の亡霊が現れ、陸奥千賀の塩釜の浦を都の自分の庭園に模して移し作らせた、当時の栄華をそのままに、遊楽遊舞を楽しみ、やがて月の都に帰っていきます。

「月の都に入り給う装い  あら名残惜しの面影や  名残惜しの面影」と終わる謡の文句……弔謡としてもよく謡われます。

舞囃子では華やかな昔を舞うのですが、淋しさも感じる、私の大好きな曲のひとつです。
能で演じたとしたら、私の力では前シテだけで気力体力を使い果たし、とても後の融の大臣の気持ちで素直に舞うことはできないだろうと思います。
これまでも舞囃子で舞わせていただいたことはありますが、今回は「五段替之型」でという事になりました。常の型よりもより華やかになっています。その分最後に寂しさが残る、そうなるといいなと思いつつ稽古をしています。
月の美しい季節、観ていただく方にも楽しんでいただけたら嬉しいです。

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