うきはの春

梅若会では、師匠から会の名前をいただくとき、当主名の六郎の六を緑という字に置き換えて、その一字を上にして決めていただきます。下の字は名字や名前の一字であったり、何か思いのある字を使わせていただくのです。私の場合、山村の「山」も庸子の「庸」もなんだかイメージにあいませんでした。いろいろと考えた末、私の誕生日は4月初めでいつも桜が真っ盛り、ということから大好きな「桜」という字を選ばせていただき、「緑桜会」という名前のお許しをいただきました。

小さい頃から誕生日の頃にはたくさんの思い出、目に浮かぶ景色があります。
私が生まれたのは、秋に会を催している福岡県の浮羽町山北(楠森堂)ですが、幼稚園から中学校までは母の実家があった久留米で育ちました。

ただ休みは必ず山北の家に帰り、お正月やお盆、そして私の誕生日のある春休みはそちらで過ごしました。ですから年行事の思い出はいつも山北の家なのです。
特に春は色鮮やかに思い浮かぶ景色が多くあります。

春休みになって久留米から浮羽に向かうバスからの景色は、菜の花畑と蓮華畑のコントラストがなんとも言えず美しく、幾何学模様の絨毯が広がっているようでした。

帰ってすぐに始める雛まつり(旧暦)の準備も楽しみでした。箱から一つ一つお雛様を出して飾るワクワク感。小さな台所セットは大のお気に入りでした。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 26515-1-1024x765.jpg

お誕生日のころにお友達を呼んで雛まつり、そして桜満開の中、みんなでつくし摘みに行くのも恒例でした。帰ってからつくしの袴を取る手伝いで爪が黒くなったのも、卵とじで食べたつくしの苦みも懐しく思い出されます。
昔飾った雛壇の写真を久しぶりに見たら、五人囃子の並べ方が間違っているだけでなく、間に他のお道具が並べられていて苦笑い!そもそも五人囃子が能の囃子だというのも、その頃は誰も知らずに好き勝手に並べていたのですね。
本当に春を満喫していた子供時代でした。

関連投稿

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る