私の叔父(父の弟)は美術評論家です。河北倫明といって、25年程前に亡くなりましたが、多くの美術館の館長を務め、晩年には京都造形大学の初代学長でもありました。それなりに著名人だった叔父は忙しく、滅多に会うことはなかったので […]
梅に思う
緑桜会の稽古会を毎年4月に催させていただいている山本東次郎家の能舞台(杉並能楽堂)は、自然光の中で昔ながらの能の雰囲気を味合わせていただける、私にとって特別の場所です。今年はコロナの蔓延で緊急事態宣言と重なり、泣く泣く会 […]
想像力は歳をとらない
先日、事務仕事をしながら、なんとなく主人が見ていたテレビ番組を聞いていました。私の耳にスッと入ってた「想像力は年をとらない」という言葉に気を惹かれ、思わず画面を見てしまいました。番組はウォルト・ディズニーの特集だったので […]
豊年に増さず 凶年に減ぜず
福岡県うきは市にある私の実家には、昔から伝わる行事が数多くあります。現在も兄と甥が苦労しつつ、家を守ると共に継承してくれているのですが、行事を続けるにあたっての家訓があります。 「豊年に増さず 凶年に減ぜず」 というもの […]
朝陽と夕陽
明けましておめでとうございます。 想像もしていなかった年になってしまった2020年も終わり、いつものように新年を迎えました。それぞれの思いを胸に、初日の出に手を合わせられた方も多いと思います。新しい年明けが良い方向に向か […]
楠森堂
毎年この時期は、福岡県うきは市にある、私の実家「楠森堂」で緑桜会の催しをするための準備に忙しくしていました。今年はコロナが収まらないこともあり、残念ながら中止に・・・。なんだか忘れ物をしたような気分です。 私の先祖は古く […]
あるべきやうわ
40歳で観世流シテ方の師範に推挙していただいたとき、上の娘は小学校2年生、下の娘が幼稚園年長でした。そのため能楽師とは言っても名ばかり、出勤は最小限。毎月の定式能とその申し合わせだけにさせていただき、その他は師匠のお弟子 […]
玄人としての初シテ
40歳の時に玄人に取り立てていただき、能を舞わせていただくことなどまだまだ先のことだと思っていたのに、2年目の平成2年、靖国神社の大祭での奉納の能で初シテをさせていただくことになりました。毎年恒例の奉納の能は、当時書生さ […]
初めての能
私が初めて面を付けて能を舞わせていただいたのは28歳のときでした。本当は父が70歳の古稀のお祝いに舞うはずだったのですが、糖尿病がひどくなり立ち居がままならなくなったため、代わりに私に舞うようにということになったのです。 […]
お転婆娘
仕舞が面白くなったきっかけはチャンバラでした。扇を刀にして斬ったり刺したり飛んだり・・・。女でも関係ありません。それが快感だったのです。 私は子どもの頃から兄三人の影響を受け、野球や相撲が大好きで、やることなすこととても […]