10回目の「こころみの会」の企画をしたときに東京新聞から取材を受けました。「こころみの会」の話の流れで、能を始めたのは大学を卒業してからで、慶應義塾大学時代にはボウリング部に所属していた、という話をしていたらそのことも記 […]
舞囃子を楽しむ
本年10月22日(土)、梅若能楽学院会館にて十年ぶりの「こころみの会」を催すことにいたしました。今回は私が無謀にも三番舞囃子を舞わせていただくのですが、その他にも間で仕舞や連吟、語り、一調も楽しんでいただき、そこから「五 […]
師の求めたるところを求めよ
能楽師になって七、八年経った頃、ある会にお手伝いに伺い、山本東次郎先生の講演を聴かせていただく機会がありました。その時に心に響いた言葉があります。その後の私の能楽師人生の指標となりました。 当時、憧れの師匠の元で玄人とし […]
違和感なく歩ける!
「今回は長かったねー。やっとトンネル抜けたね。もう通わなくても大丈夫。様子を見て何かあったらいらっしゃい」先日鍼の治療に行ったとき、先生がおっしゃいました。お正月の転倒事故以来これまで、治ったかなと思っても、重いものを持 […]
下手は上手の手本?
「上手は下手の手本」というのは当たり前のようですが、「下手は上手の手本」というと、「どういうこと?」と思いませんか。この二つの言葉も世阿弥の「風姿花伝」で見つけました。まずはびっくりしたのがその考え方です。普通は上手な人 […]
時分の花
世阿弥は「風姿花伝」の中で、一生を通じての稽古のあり方を述べています。6、7歳の頃は自然に動き回るところに風情があるのだから、なるべく心のままにさせなさい、と述べています。良いとか悪いとか教えて厳しくすると小さくまとまっ […]
時々の初心
入学式や入社式などの祝辞などでよく「初心忘るべからず」と言う言葉を使われることがあります。この言葉は「風姿花伝」の中で世阿弥が述べているのですが、普通に思っているのとは少しニュアンスが違います。それは私が能を始めた頃「風 […]
「天鼓」と「藤戸」
6月19日(日)の梅流会にて、仕舞「天鼓」を舞わせていただきます。 「天鼓」は演能の機会を二度いただきました。その時のエピソードなのですが、ある先生から「女性が演じるときは、前シテを父親でなくて母親にしたらどう?」と言わ […]
間狂言
私が能を観始めたのは大学を卒業して福岡の実家に帰ってからでした。最初の頃、何もわからないながら能を観て不思議に感じたのは前場と後場の間の狂言の語りでした。前場でのシテとワキの話で、だいたいわかったている内容を、繰り返し語 […]
こころみの会をもう一度
「こころみの会」を休んでから今年で10年になります。前向きの一時的休止でしたが、「声の道場」や「能エクサイズ」で能が健康に繋がるということを伝えたいということに気持ちが向いていて、会の企画が前のように溢れてこなくなってい […]