昭和53年に発行された別冊太陽で能が特集されました。私が30歳の頃です。本当に能が凝縮されたような分厚い雑誌でした。わからないことが多い中にも興味深く、何度も読み返しました。最近、久しぶりに引っ張り出して目を通していたら […]
習うより慣れよ
昔から修業を重ねる時や仕事を覚え始めた時の教えに「習うより慣れよ」ということをよく言います。これは何かを身に付けたいことが見つかったとき「人や本に理屈で教えてもらうより、自分で体験を重ねることのほうが身に付く」ということ […]
腹話術と息
文春オンラインで腹話術のいっこく堂さんへのインタビューが取り上げられていました。その中で、口の動きと声がずれる技術や、腹話術では難しいと思われる破裂音をいとも簡単に使える技術について質問され、どのように訓練したかを述べ、 […]
違和感なく歩ける!
「今回は長かったねー。やっとトンネル抜けたね。もう通わなくても大丈夫。様子を見て何かあったらいらっしゃい」先日鍼の治療に行ったとき、先生がおっしゃいました。お正月の転倒事故以来これまで、治ったかなと思っても、重いものを持 […]
下手は上手の手本?
「上手は下手の手本」というのは当たり前のようですが、「下手は上手の手本」というと、「どういうこと?」と思いませんか。この二つの言葉も世阿弥の「風姿花伝」で見つけました。まずはびっくりしたのがその考え方です。普通は上手な人 […]
時分の花
世阿弥は「風姿花伝」の中で、一生を通じての稽古のあり方を述べています。6、7歳の頃は自然に動き回るところに風情があるのだから、なるべく心のままにさせなさい、と述べています。良いとか悪いとか教えて厳しくすると小さくまとまっ […]
時々の初心
入学式や入社式などの祝辞などでよく「初心忘るべからず」と言う言葉を使われることがあります。この言葉は「風姿花伝」の中で世阿弥が述べているのですが、普通に思っているのとは少しニュアンスが違います。それは私が能を始めた頃「風 […]
閑心遠目
「心を長閑にもって遠くを見る」世阿弥が「二曲三体人形図」の中で述べている、老人を演ずるときの教えです。能はひとりの役者が曲によって、男性、女性、若者、老人、すべての役を演じるので、言いかえればあらゆる役の物まねをするとい […]
「天鼓」と「藤戸」
6月19日(日)の梅流会にて、仕舞「天鼓」を舞わせていただきます。 「天鼓」は演能の機会を二度いただきました。その時のエピソードなのですが、ある先生から「女性が演じるときは、前シテを父親でなくて母親にしたらどう?」と言わ […]
間狂言
私が能を観始めたのは大学を卒業して福岡の実家に帰ってからでした。最初の頃、何もわからないながら能を観て不思議に感じたのは前場と後場の間の狂言の語りでした。前場でのシテとワキの話で、だいたいわかったている内容を、繰り返し語 […]