「苦しみを楽しむ」という題で前にブログに上げましたが、その感覚がもともと自分の中に自然に存在していて、それがこれまでの私の原動力になっていたことに気づきました。
これまでのブログにも
「あるべきやうは」「危機を節目に」「転んでもただでは起きない」「歳を取らないとわからないこと」
などなど、壁にぶつかったり病気や怪我をしたり、いろんな事が起こるたびに新たな気づきを得て、その状態を乗り越えた自分の体験を書いていました。
先が見えないとか、体が思うように動かないという中で、何かできることを見つけ、次々に考えたり試したりしている自分の中には、単にそうすることが面白いというだけで、あまり「苦しみを楽しむ」という感覚はありませんでした。「気づきは気づきを生む」とでもいうのでしょうか。そうしているうちに気持ちも体もいい方向に向かって行った気がします。
「気づき」は悩んだ時苦しい時の新たな動きの第一歩です。
「声の道場2」の第十章、「気づきの循環」の中の一部を抜粋します。
……私は道場への参加やこの本を読んでくださることが、その方自身の身体への「気づき」になってもらえたら、それでいいと思っています。どういうことかというと、「なるほど!」とか「そうかも!」という「頭での気づき」が身体のために良い循環の始まりだと思うからです。人間の身体が持つ可能性は、年齢が高くなっても相当大きいはずです。
例えば「姿勢が悪い→呼吸が浅い→筋力が弱くなる→運動しない→呼吸が浅い→筋力が…」などの負の連鎖がありますが、姿勢の悪いこと(首が前に出る、背中が丸いなど)に「気づく」ことから、「正しい姿勢に直そうと努力する→息が身体に溜まる→呼吸が深くなる→酸素の循環が良くなり体力がつく→日常の動きそのものが運動になる→呼吸がますます深くなる→声に響きが出る…」というように、身体の悪い循環を断ち切り、良い方向に向かわせることができます。
ひとつの「気づき」が良い循環を生み出し、体力がついたり声に響きが出てくることに繋がります。それがまた、次の「体の気づき」に繋がるのです。
「声の道場」の場合、自分の声に悩みのある方が、姿勢が悪く首が前に出ていたということに気づき(頭での気づき)、首を背骨に引きつけて真っ直ぐにするよう気をつけたとします。そのことが呼吸を深くし、息に声が乗ることに繋がります。しばらく意識して日常生活を送って発声の訓練もしていると、時々「あれっ」という今までと違う感覚があります。これが「体での気づき」です。それが脳に伝わり「息が楽に続く!」「声が体に響いている!」などと感じます。身体の感覚を意識できた瞬間です。
その一瞬の感覚を身体で覚えるためには、もうしばらく最初の意識(首が前に出ないようにする)を続けるよう努力しなければなりません。それを続けているうちにまた折々に「体の気づき」があり、あまり意識しなくても姿勢良くいられるようになります。癖が治った頃には息が深くなっていますから、声の響きが良くなるだけでなく、健康状態も改善されるはずです。言葉は相手に届きやすくなり、コミュニケーションもうまくいく。というように、直したいと思ったこと以上に良い結果が広がっていくのです。その中でまた新たな「気づき」が…。これが良い「気づき」の循環なのです……
そしてその人の変化は周りにも波及します。
「どうして声が響くようになったの?」「姿勢が良くなったね」「そんなことで変われるの?」
などと周りの「気づき」を呼び起こすことにもなり、個人的な「気づき」の良い循環が周りに広がっていく……。
「声の道場」がそういうきっかけになるといいな、と思いつつ原稿を書いたのを思い出したのでした。