声の道場のワークショップで、受講生に和の発声を体験していただくときは、まず和の構えをお教えして、その後ハミングや母音を体に響かす練習をします。次に息に子音を乗せる稽古、言葉を乗せる稽古を繰り返します。そのあとで皆さんご存 […]
橋掛かり
前回「柱が作る三間四方」という題で、能舞台のことを書きましたが、その舞台の広がりに無くてはならない「橋掛かり」について述べたいと思います。 「橋掛かり」は揚幕から舞台まで、能楽堂によって多少の違いはあれ、ほぼ丁度いい長さ […]
柱が作る三間四方
だいぶ前に私の主宰する「こころみの会」で山本東次郎先生にお願いして杉並能楽堂で「東西迷(どちはぐれ)」という一人狂言をしていただいたことがあります。 ある山寺に一人で住む出家が、懇意にしている檀家の毎月の供養の日に、千僧 […]
「東北」終わりました
「この能は、“こうやろう”と思ってできる能でもないし、“どうやったからいい”という能でもないんだ。いままでの集大成と思ってしっかり取り組みなさい」会の一ヶ月前、師匠に「東北」のお稽古を見ていただいたときにいただいたお言葉 […]
父の色紋付
私が能の囃子や謡や仕舞の稽古を始めたのは、両親の影響ですが、大学を卒業して福岡の実家に戻った時は、父は素人ながら師範の資格を持ち、何人もお弟子さんを教えていました。それまで私が見た父は自分自身のことには何も欲がないように […]
動中の静
私が中学生の頃、家には自分の部屋というものはありませんでした。古い日本家屋ですから部屋数はあっても襖で仕切られているだけで、ひとりで籠もって勉強をするという感じではなかったのです。私が「うるさくて勉強できない」と言うと、 […]
能のデッサン
「仕舞は能のデッサン」とよく言われます。私も「能と日本画」で能と絵画の繋がりを取り上げていますが、絵画において、まず形を的確に捉えるデッサンの修練は、能においてはその芯を形造る仕舞の稽古に当たると思います。 若い頃、いろ […]
「見る」と「見える」
銀行に行って、ATMが混んで並んでいるとき、その台数が多く横に長いと次に空いたところに気づかず、係の人から教えてもらうことがあります。それで特に困るわけではないのですが、この頃私はどうしたら自分ですぐに空いた場所がわかる […]
母の口ぐせ
朝から事が多く、とても忙しい日に、家に帰って休むまもなく台所に立ち、夕食の支度をして食事が終わり「ハーッ」と一息つくことがあります。そんなとき思い出すのが母の口ぐせ「ドンドーンとなった」です。母はこの感じを他の言葉には言 […]
人の心を種として
私は小さい頃、母からなにかのたびに短歌や俳句を聞いて育ちました。母の歌だと思っていた私は、大きくなってから母も女学校時代の先生や祖母から聞いた歌だと知り作者を調べました。 私がしなければいけないことを「明日やる!」と言う […]